無責任な子育て論、産んだら大人になるまでどこかに預けろ

              

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乱暴を承知で書くが、子どもを産んだら自動的にプロに預けるシステムでいいと思う。

こんな感じ。(想像)

  1. 子どもを出産
  2. 子どもは施設へ。プロの子育て集団に預ける
  3. 親子は一緒に暮らせない、教育にも関われない
  4. 両親は都度子育て状況の連絡をもらえる
  5. 育つ中で実の両親の存在はきちんと教えてもらえる
  6. 子どもは大人になるまでプロの教育者に面倒みてもらえる

 

 

親が保育者・教育者に関わりすぎている

         フリー画像 先生 多忙 に対する画像結果

 

保育士や先生が心の病気になったり、人員不足しているのはモンペと仕事量の多さがかなり占める(はずだ)。

それなら親と教育者を完全に切り離せばいい。
昔は親が先生に物申せない時代があったが、いまや先生が親に腫れ物に触るように接している。こんな関係性なら初めから関わらなければいい。

親からすれば大切な我が子でも、先生からすればひとりの生徒。
学校生活でほんの何年か接する集団のひとりにすぎない。多くに目をかけるのが無理なのだ。真面目な善良な先生ほど、心身をむしばむのは至極当然だ。

学校は勉強を教えるだけの機関から、子どもを大人にする機関にすればいい。

そのためには親の存在は邪魔になる。親は教育のプロではない。我が子を育てるだけの家族を作る存在にすぎないからだ。

本当に乱暴な書き方だが、家族の中だけで多様性も集団行動も成り立たない。
そのために学校に通っているのだろうか、勉強を教えるだけの学校では合わない子どももたくさんいるのだ。
家族や学校が子どもを大人に育てる機関でない限り、のびのびと育つ子はいない。

子育ての責任の所在はどこにもない     

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自宅での子育てでやり玉にあがるのが未だに母親だけ。

上のフリー画像引っ張ってきた今も、母親と子どもの画ばかり。子どもって父親いなくてもできんのか?って思うほど。

多様性どうちゃら、子育てもひとそれぞれ、なんて言っておきながら、結局

「母親の愛情が第一です」

「母親の手作り料理を食べない子は不幸」

「手作りのお弁当を持たされない子どもは可哀想」

「お迎えの遅い子どもは育児放棄

いまだにこんな声ばかり。休みの日に歩いている親子の組み合わせさえ、「母親と子ども」

お父さんと娘が公園にいるだけで通報される。

保育園や学校の連絡で男親がでれば頑なに伝達事項を言わない。

ふざけんな!!!!

責任なんか誰も取れないんだよ!!!

親の責任は子どもが大人になれば消える。よっていつかは、責任の所在はなくなる。

それなら、こんな案はどーかな、と無責任まるだしで書いただけです。
上記案の細かいことは知らん。

 

さいごに

もしこの記事を子育てを悩む方が読んでいたら、、、すみません。

でもね、もうひとつだけ言わせてください。

大きな責任を感じながら育てるのはよしましょう。

子は子の人生、あなたはあなたの人生です。

子育てに悩む、あなたへ。